吉川史料館・館長日記
吉川史料館・館長の藤重豊が日頃思うことや歴史などについて書きます。
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金襴について
 吉川史料館では、約8000点の史料(旧藩主吉川家に伝わった美術・工芸品・古文書類)を年4回の展示替えをしながら一般に公開しています。
(1月、4月、7月、10月の4回)それに合わせて、「吉川史料館たより」(A4版、4ページ)というものを発行しています。
それには私が1ページ分、展示品1点を選んで解説を試みております。

 いま、新春に向けて茶道具およびおひなさまを展示する準備をそろそろしています。
そこに開館以来初めて、「織物切手本 一折」を展示する予定です。

 これは金襴の織物の裂れを貼り付けたもので、86枚が台紙に貼られています。
解説を書くのに、織物についての知識が皆無と言っても良いほどの私ですから困ります。

 まず、市立図書館で、『日本の美術 220号 金襴(きんらん)』(小笠原小枝編)と『手織りの実技工房ー絣からもじり織までー』吉田紘三(染織と生活社 2002年12月初版)を閲覧してはじめて少し理解できた。

 金襴とは一言で言えば金の糸(箔金を細く切ったもの、あるいは絹糸に金箔を巻きつけた練り糸)で織られた織物である。
金を使って紋様が織られているのだから、豪華でしかも高価な織物といえる。

 この金襴は、中国の宋・元の時代に、あちらに渡った禅僧たちが修行を終わって帰国するとき、持ち帰った袈裟などの縁に金襴が使われていたのが、足利将軍や守護大名、あるいは公家社会の人々に注目された。
そのために日明貿易を通じて盛んに輸入されることになった。
それが能衣装や茶道の仕覆(しふく)あるいは軸物の表装や帯などに用いられるようになった。

 室町時代中ごろには、その織りかたの技術が日本に伝わり、京都西陣で織られ始めたようである。
江戸時代になると桐生でも織られるようになったと言う。

(続く)


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これからブログをはじめます。
私は吉川史料館の館長です。

日々の生活や、調査・研究したことを日記として記録して行こうと思っています。

だんだん年齢が高くなると、すぐ忘れてしまうので、備忘録を兼ねて書き付けて行きたいと思っています。




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