吉川史料館・館長日記
吉川史料館・館長の藤重豊が日頃思うことや歴史などについて書きます。
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詞花和歌集  吉川経基筆写本   一冊
『吉川史料館 第45号』(第2面)の私の原稿下書きです。次回展示替えは、6月28日(木)からです。

          詞花和歌集  吉川経基筆写本   一冊

 『詞花和歌集』は、勅撰和歌集のひとつである。これは天皇あるいは上皇の「宣旨あるいは院宣によって選者がえらんだ歌集を」いい、二十一の和歌集がある。            
それらは「古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集、後拾遺和歌集、金葉和歌集、詞花和歌集、千載和歌集、新古今和歌集、新勅撰和歌集、続後撰和歌集、続古今和歌集、続拾遺和歌集、新後撰和歌集、玉葉和歌集、続千載和歌集、続後拾遺和歌集、風雅和歌集、新千載和歌集、新拾遺和歌集、新後拾遺和歌集、新続古今和歌集」である。
 最初の古今和歌集は、905年、醍醐天皇の勅により編集され、選者は紀貫之、紀友則、凡河内 恒であった。「万葉集」以後の約1100首を集めている。
 『詞花和歌集』は,近衛天皇の時代、1144年、崇徳上皇の院宣によって選集が開始された。選者は藤原顕輔であった。父藤原顕季は白河院の近臣で、和歌に堪能で、「柿本人麿の画像を祭る人麿影供という儀式を創始し、歌の家としての立場を確立した。」人物であった。
 選集作業は、1151年に終わり、完成した。形態は10巻で、収録された和歌の数は○○○で、勅撰和歌集の中では一番少ない。これは『金葉和歌集』の成立から20年も経っていなかったことが理由であろう。
 ところで、当館所蔵の『詞花和歌集』は吉川基経自筆の写本である。所蔵目録から次のことを引用して置く。
「    | 形質   紙本墨書
            袋綴和装本
     | 時代   室町時代
     | 作者   吉川経基筆写
     | 寸法   縦38、0センチ
            横20,3センチ
     | 付属   灰色紙表紙
     | 本紙   57枚                        
              但紙の上下僅かに消失し、裏打補修を加えてある。  」
 さて、吉川基経は、正長元年(1428)に生まれ、永正17年(1520)に遠行している。彼は勇猛果敢、豪胆な武将として知られた。応仁元年(1467)、応仁の乱が発生すると、細川勝元の東軍に属して戦い、「鬼吉川」あるいは体中の傷から「俎板吉川」の異名をとり、その名は天下に響いた。
 一方では、文芸・学問に関心が深く、特に書に堪能で後柏原天皇の勅命により「古今和歌集」書写して献上したことでも知られる。この「詞花和歌集」を初め、『古今和歌集』『年中日発句』『拾遺和歌集』あるいは『元亨釈書』が、自筆の筆写本として当館に所蔵されて
いる。
   参考文献  『吉川家譜』 (吉川史料館蔵)
         『金葉和歌集 詞花和歌集』新日本古典文学大系 岩波書店
                                     
                                 (藤重 豊)

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山口県地方史学会大会に参加。
一昨日は、7,8年振りに山口県地方史学会の大会に参加した。会場は県立図書館。5つの発表があり、それぞれ興味あるもので、いろいろ勉強になった。会員は500名位はいると思うが、もう少し参加者があったら良いのに感じたがどうだろう。私は勉強の意欲を刺激されて帰ったきた。岩国でも同好の人がもう少し増えたらと思う。

菖蒲祭りのご案内
今日・明日と吉川史料館の側の堀の菖蒲祭りです。来られましたら史料館にも足をお運びください。
仙鳥館の開放にむけて。
 仙鳥館が昨年末、市文化財に指定された。しかし内部の襖・障子・畳・雨戸などの修理・補修が必要であり、いま少しずつやっている。予算が乏しく段階的にやらなくてはならない。庭の木々の剪定や草取りもやらなくてはならない。館長みずからが鋏と鍬を持って働いています。
 7月中旬には、一応来訪者があっても対応できると思っています。展示ケースも一つ置いて、仙鳥館の歴史やこの建物にまつわる歴史を展示説明したいとおもっています。


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