吉川史料館・館長日記
吉川史料館・館長の藤重豊が日頃思うことや歴史などについて書きます。
01 | 2014/02 | 03
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 -

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

萩博物館に刀匠山浦清麿展を観る
 1月30日(木)寒い中を津和野経由で萩博物館(萩市)に出かけた。 

DSCF7960_R.jpg

 山浦清麿は、幕末の刀鍛冶で、文化10年(1813)、信州小諸藩赤岩村に生まれた天保2年(1831)、江戸に出て研鑽を積む。嘉永7年(1855)11月、江戸は四ツ谷にて死去、42歳であった。
  その間、天保13年、清麿は長州萩藩に来て、天保15年8月まで、2年間萩に滞在して作刀した。晩年は江戸四ツ谷に鍛冶場を構えて「四ツ谷正宗」と呼ばれて人気のある刀匠であった。
  今回は「生誕200年記念清麿」特別展として、佐野美術館、根津美術館、長野県信濃美術館、萩博物館、(展示期間 25年12/21~26年2/9)の4カ所で巡回展が計画された。
  清麿が萩に来た動機は、当時萩藩では村田清風の藩政改革の行われていた時であり、その中には時局に対応して軍備増強策があり、その中には武器の充実もあった。江戸の藩邸に清麿と交際のあった武士がおり、それを通じて村田清風が萩招聘を求めたものと思われる。私は国広浩典氏の「源清麿の萩駐槌について」(『刀剣美術』第654号、2011年)を読んでいたので、ぜひ観にいかなければと思い出かけた。一人の刀鍛冶の打った57振りの刀が一度に展示してあるのは壮観であった。
  とにかく刀が美しい。これは刀研師の技法が優れていることが想像できるが、その基礎になる地鉄(じがね)がよいのであろう。
  館内で販売されている図録『特別展生誕200年記念 清麿』の中でも、『江戸末期の名工・源清麿の刀剣の魅力は地鉄(じてつ)の美しさにある、と人々はいう、(中略)その地鉄は、強さと潤いのある軟らかさとを併せ持っているように思える。凛とした鉄味であり、この凛々しさに人々は相州伝を創出した正宗の名を冠して「四ツ谷正宗」と呼んだ』(p120)とある。また清麿の魅力は「地鉄の面白さと、刃文の躍動感である。地鉄の面白さを言葉で表現するのは至難である。」(p125)とある。
  私が吉川史料館に勤務するようになって、刀剣の知見を深めなければならないと思うが、一向に進歩しない。
  その理由の一つが刀剣の部位の名称が多くあってそれを記憶するのが大変なことである。次に刃文の基本は直刃であり、それ以外の刃文は、のたれ乱と丁字(ちょうじ)乱と五のめ(ぐの目)乱れというが、その変化の様々に慣れるまでには気が遠くなる気分である。さらに沸(にえ)と匂(におい)の違いがまた皆目わからない。
  それでも約2時間、楽しみながら50振りにのぼる刀剣を見てまわった。帰宅後『詳説刀の鑑賞(基本と実践)』中原信夫(平成18年2月第2刷)を再読した。


スポンサーサイト


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。