吉川史料館・館長日記
吉川史料館・館長の藤重豊が日頃思うことや歴史などについて書きます。
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島根県立石見美術館に原田直次郎展を観に行く
 先日、島根県益田市にある県立石見美術館を友人と共に訪ねた。片道約4時間の行程である。(途中道の駅などで休息しながらのゆっくりした一日であった)          
 原田直次郎は、文久3年(1863)生まれで、明治32年(1899)、36歳で死去した洋画家である。早すぎた夭折であった。
 父は岡山の鴨方藩士であった。直次郎は洋画家を志してドイツのミュンヘン美術学校に留学した。そこで森鴎外に出会って、その友情は終生のものとなった。森鴎外が執筆した「うたかたの記」は、原田直次郎をモデルにしたと言われている。また、直次郎は鴎外の書籍の挿絵なども描き、幅広い交友関係を共有した。
 原田直次郎が帰国した頃、国内は欧風化の風潮に反対する運動が強く、美術界でも、フエノロサや岡倉天心などの伝統的日本美術の復興が叫ばれていた。
 しかし、原田直次郎は「西洋画は益々奨励すべし」とした。最初の欧画団体である明治美術会が、明治22年に結成されると、それに参加した。まもなく自宅に画塾鐘美会を開設して、日本における西洋画の普及に努めた。
 展示されている作品では「ドイツの少女」「神父」「上野東照宮」「風景」『高橋由一像」(原田直次郎の師匠、日本で最初に西洋画を広めた人物)「三条実美像」「蓮池」など、ドイツ自然主義アカデミズムの伝統を踏まえたものである。
 彼の没後10年を記念して、明治42年、森鴎外が中心になって、東京芸術大学で回顧展が開かれている。それから約100年後、彼の回顧展が計画された。神奈川県立近代美術館、埼玉県立近代美術館、岡山県立美術館、島根県立石見美術館の巡回展である。
 原田直次郎の足跡を辿ることによって、改めて彼が日本の近代洋画の振興に尽くした功績を知ることになった。
 ところで、この原田直次郎は、吉川家と浅からぬ縁があることを知った。たまたま直次郎の子孫の方がこの夏に当館に寄られたのである。
 吉川重吉の長女英子が、直次郎の甥熊雄の妻であった。熊雄は西園寺公望の秘書(貴族院議員でもあった。)をやっていた関係からの縁組であったと推測される。『吉川重吉自叙伝』(尚友ブックレット〈25〉)によれば、英子は娘の頃、イギリスに2年留学していたから、流暢な英語を話していた。
 参考文献 『原田直次郎 西洋画は益々奨励すべし』公式図録
      『日本美術史要説』(久野健・持丸一夫)

 ※訂正 前回北海道の旭山動物園を訪ねた記事を書き、その中で「ライオンがいない。」  
    と述べたが、「ライオンはいるよ。」との連絡をいただいた。私が見過ごしたもの 
    と思われる。ここでお詫びします。
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